前回、前々回と自分の剣道歴について書かせていただいた。今回はその続きの高校生編として紹介していこう。
(今回も面白半分で見てください。)
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進学先は「堕ちた強豪」
10年以上前は強かった学校
すべり止めの高校に入学が決まると同時に剣道部入部も決まった。その剣道部の練習場には賞状が壁一面に張ってあった。しかしそれを見てみるとかなり前の日付。中には昭和とかの賞状もあるし、古くなりすぎて黄ばんでいるものもあった。しかも一番最近のでさえ、自分が生まれているかどうかくらいの古さ。その瞬間、強かった時期もあったけど、堕ちたんだなって感じた。でもこういうのって受験する段階で調べるハズなんだけど、自分にはその下調べは全くなかった。行き当たりバッタリ、そんなスタート。
部員居なさすぎ問題
なにより一番驚いたのが部員の少なさ。今思えば高校で剣道する人なんて決して多くはないと理解できるんだけど、中学生のころにいっぱいいるのが当たり前すぎたので当時はカルチャーショックだった。その気になる部員の数は一個年上の先輩が5人、そして3年生にあたる二個年上の人は0人。中学の時は憧れのセンパイが何人もいたんだけど、高校では憧れるどころかそもそも先輩がいないという事件。
自分より剣道を知っている人が主将だけ。
この時点で自分は剣道を10年くらいやってたんだけど、自分以上に剣道をやっている人は主将(キャプテン)だけだった。あとはみんな中学生から始めた人が多いし、中には高校から始めた人もいた。当然自分の方が実力が上になってたし、正直めちゃくちゃ練習しずらかった(最初だけ)。だから剣道について先輩から質問されることも多かったし、副主将からは敬語で聞かれる始末。だから自分が分からないことは、主将と練習試合で他の学校の試合を見ながら研究していた。分からないことを先輩に聞けないのは正直つらかったのを覚えている。そしてここまでが部活始まる前の段階。波乱の幕開けすぎる。
剣道以外で大変なことが多すぎる剣道部
イカつ過ぎる顧問
入部して顧問の先生に挨拶したんだけど、会った瞬間こう思った。
「ちょっと待って!?!?!?エッ…チョ…この人怖すぎるんだけど!」
雰囲気が怖すぎる。目が鋭いし、身体もマッチョ、おまけに声が低くてドスが効いてる。そのヤバい雰囲気で話かけずらさMAXだし、センパイたちも話すのイヤそう。そして剣道するとめちゃくちゃ強え。おかげで練習場に顧問が来ると一瞬でその場がピリつく。部員たちの顧問の顔色や機嫌を伺いまくり、地雷を踏まないようにする練習。しかも練習メニューも鬼キツい。剣道長く続けている自分でもしんどかったから先輩たちしんどそうだなって思ってたら案の定死んでた。南無阿弥陀仏。
辞めていく部員
その顧問のおかげでやめていく部員が多数出現。まず入部して一ヶ月で一人先輩がやめた。そして入部した自分と同い年の一年生は6人入って、一年間で4人やめた。うち一人が家庭の事情ではあるんだけど、最終的に残ったのは二人。あとはいろんな事情でやめていったけど、理由の大半は顧問のイカツさ。やめたい気持ちはわかるけど取り残された身にもなってほしかった。しかし、そんなことを嘆いているヒマもなかった。
一年4月から試合出場
部員がいないおかげですぐにレギュラーになれた。おまけに引退する3年生まで、出れなかった試合もなくずっと試合には出れた。一見うらやましく感じるかもしれないが、えげつないプレッシャーを感じていた。自分が勝てなかったらチームは負けるみたいな状況を一年生から3年生まで感じていたので正直、大会や試合が楽しくなかった。当時プレッシャーに弱かったガラスのハートの持ち主の自分はしっかりプレッシャーに押しつぶされて、試合で思い通りに体が動かなかった。なんとも言えない当時の苦しみは今でも覚えている。
漫画のような部員勧誘
自分が二年生に進級するタイミングで、新チームの展望について考えた。
「ちょっと待って!?!?!?ヤヴァイ…同い年二人しかおらんやんけ!!」
頼れないながらも一緒に試合でてくれる先輩たちが引退したら、残るのは自分と同い年の生き残りの二人だけ。剣道の試合って5人制で最低3人いないと団体戦組めない。これはマズいと感じた自分は、新入生にターゲットを絞った。そこから怒涛の部員勧誘。剣道経験者を見つけては声をかけまくった。なんなら剣道やったこと無い子にも声かけた。まるで漫画。やっとの思いで新入生5人そろえたんだけど、二人辞めて二人が幽霊部員。一緒に練習してくれたのは一人だけだった。とりあえず数はそろったからなんとか大会には出場できたけど、あの苦労の日々は忘れない。
苦しみながらも手に入れたもの
尊敬できる『主将』との出会い
さっきからよく出てくる主将は、自分が出会ってきた中でトップ3には入るくらい尊敬できる人。感のイイ人は気づいたかもしれないんだけど、自分が入部したときに二つ年上の3年生がいなかったから、その一つ年上の主将は2年間主将やってるんだよね。自分が感じた主将の重みを自分の倍経験しているワケだから、そりゃあもうしんどかったと主将をやって感じた。あとから聞くと血尿でたりして精神的にも参ってた時もあったそう。面倒見のイイ人だったから、引退してからも自分のことを気にかけてくれてたし、あの人が剣道部にいなかったら自分はもっとハードモードだったし、きっと最後まで部活に残ることはできなかったと思う。この主将は、それくらい自分の人生に間違いなく影響を与えてくれたし尊敬もできた。
環境の大切さ
部員が少ないことで中学時代にどれだけ恵まれていたかが分かった。なんでも相談できる先生や先輩、頼れる同級生、多くの部員たちなど、高校時代に比べると中学時代の方がよほど恵まれてた。ぶっちゃけ、下調べもせずに高校選んだ自分が悪いんだけども、それでもいい経験になったといえる。強豪校で恵まれた環境に身を置くだけでは得られない経験を得られた気がする。やっぱ環境で人の成長
続けることの大切さ
「継続は力なり」ってどこかの偉人が言ってたと思うんだけど、まさにその通りだと学ばせていただいたのが高校生活。辞めていたらきっと、主将のことをここまで尊敬できていないと思うし、この後の大学生活で子供たちに剣道を教えるなんてこと、きっとできなかったと思う。やめていく部員が多い中で自分が続けてみた結果、続けることで理解できることが多いと感じた。辛い部活をやめたらラクになれるし、青春を謳歌できたハズなんだけど、それよりも部活を選んだ。だから青春を捨てつつ、自分がしんどいと思いながらも高校の部活生活を続けたことは、一切後悔は無い。でも戻りたいとも思わない。不思議。
最高記録は県規模の大会でベスト16
中学と変わらずの成績。ホントに限界を感じた。田舎の中学校から名古屋市の高校に通って、名古屋地区のレベルの高さを知った。地区予選ですら中々勝てない日々が続いたし、上には上がいることも知った。でも強い選手と試合するのは楽しかったし、常にレベルの高い環境にいることって自分のレベルを高めるには必要だと感じた。しんどいけど。
青春の代わりに苦労と経験を得た、高校生活
ここまで読んでくれたら分かると思うが、高校生の華やかな青春は1ミリも存在しない。小学生のころよりもこの3年間は精神的にキツかった。キツすぎて最後の大会は解放されたすぎて早く引退してえってずっと思ってたし、引退した時は正直めっちゃうれしかった。高校進学を剣道含めたスポーツ推薦で決める学生諸君、は青春を捨てる覚悟を持っていただきたい。
ということで剣道選手としては高校生で一旦終了。この後大学生になって、部活に入らず道場の先生になった経緯などはまた次回。ここまで読んでくれた方ホントにありがとうございます。