剣道のカテゴリを作り、剣道関係の発信をしていこうと思ったものの、
自己紹介をせずに剣道を語ると、それは「剣道大好きオタク」になりかねないし、
そうなったら間違いなく自分で自分を嫌いになるので、まずは自分の剣道経歴を表現していこうと思う。
剣道をはじめたきっかけ
剣道を始めたのは小学一年生の頃に静岡県静岡市で始めた。
松井家は転勤族で様々なところを転々としてたからチームスポーツではなく、個人技に近い剣道を始めた。
というのも兄や父が野球をやってたけど、転校するとチームに入りづらいらしいからとの配慮。
また若干ながら母親は剣道に少し憧れを持ってたから息子にやらせたかったらしい。
そして当時の自分は、母親を怒らせたら怖いし、めんどくさいと思って言う通りに見学だけついていったらいつの間にか竹刀を握っていた。
今思えばあそこが自分の中で大きな分岐点であり、今の自分につながっていると思うが、
当時は剣道なんかやらず友達と遊んだり、ゲームしたくて早く帰りたかったのが本音。
正直、剣道教室で剣道を見てた時も、カッコイイなんて1ミリも思わなかったし、なんならゲームのことしか考えていなかったと思う。
だがしかし、これがきっかけで自分の人生を大きく変えるなんて、微塵も思っていなかった。
超弱小チームで剣道開始
見学の後、すぐに入ったスポーツクラブ、これがまたスーパー弱小。
団体戦で入賞するどころか、チームで勝った記憶が今でもない。
だが自分は、何も意識せず言われたことを脳死状態で聞いてたら先に始めた子よりもうまくなったし、
ひとつ年上の先輩にも実力では勝っていた。きっと才能があったのだろう。
しかし、そのせいで小学2年生で大将やらされて体の大きな相手と試合して後頭部から転倒したこともあるし、
日曜日返上で大会によく連れて行かされた。遊びたかったのに。
でも悪いことだけじゃなくて、小学4年の頃に大会で個人3位になったりしたこともあったし、友達と剣道すること自体は楽しかった。
この時までは。
道場掛け持ちで週5で剣道
小学5年にあがるくらいに、母親がわけわからんことを言い出した。
「もうひとつ、道場通うよ。」
「は?」と思ったよ。ただでさえ剣道やることにノリ気じゃないのに、
それが増えるの?まじでわけわからんよ。
当時、小学生ながら、みんな大好き公文に通ってたから、剣道と公文で友達と遊ぶ機会も無かったワケね。
なのにさらに剣道してたら遊ぶ時間ないだろアホかと思って、この時マジで反発したのを覚えてる。
それでも母親は、弱小チームにこのままいたらヤバいと思って自分を市内でも屈指の強豪道場に連れて行ったし、
そのままの勢いで掛け持ち。
多い時で、日、月、水、木、土曜日に剣道。それ以外で公文みたいな地獄のような日々。
ホントに何を目指してるかわからないし、今でもあの時程の地獄の日々は無かったと思う。
特に後から習いだしたクラブは強豪だからそれなりに練習メニューもキツイ。
その練習日である木曜と土曜は憂鬱すぎて生きた心地が全くしなかった。
母親が剣道を始めて地獄が増す
小学5年の頃、母親がまたも、わけわからんことを言い出した。
「私も剣道始めるわ。」
しかしここまでくると、もはや何も思わない。剣道嫌いすぎて無関心だった。
だがここからさらに剣道漬けの日々が始まる。
母親が剣道好きすぎて本当に困った。
土曜の練習前には剣道日本の付属のDVD見て予習してるし、竹刀やら木刀やら振りまくってた。
剣道嫌いの自分としては、何が楽しいのか全く分からないし、アタマおかしくなったんかなって思っただけだった。
(ちなみにその時のDVDの音楽を聴くと今でも吐き気がする。)
だが地獄なのはその後。
ちょっと剣道をかじっていい気になったか知らないけど、母親が自分の剣道について指摘するようになった。
剣道をやってなかったときも言ってきたけど、それが圧倒的に増した。
「え、剣道を先に始めたのコッチだけど?先輩だよ?」とか思いながらよく怒られてた。
道場での練習中でも、人目を気にせず自分に注意しまくってたおかげで自分の剣道嫌いが増した。
というかこれ以上嫌いになれないくらいに嫌いだったと思う。
あの時の母親は今思えばちょっと異常で、きっと他の先生たちや保護者さんもいろいろ思ってたと思う。
やはり親は子供の習い事については指摘してはいけないと学んだし、今となってはいい思い出だけど、それくらいイヤな思い出が多かった。
剣道やめるチャンス?「転校」
そんな地獄みたいな日々を小学6年生まで継続。
「自分は中学の部活では、剣道をやらないゾ」って心に誓いながら、
竹刀をなんとなく振っていた。
ここまで来たら末期。
小学6年のころ、とある大会で試合に負けた自分に母親がいつも通り説教&不機嫌。
そんな中、自分が負けたことない同じチームの子が試合で勝ちあがっていた。
母親は「あの子は勝ち上がっているよ、悔しいでしょ」といった。
だがしかし、剣道嫌いを乗り越えて「無の感情」を手にした、自分のメンタルはもはや何も感じなかったのだ。
試合で勝っても負けてもなにも感情わかなかったくらい、嫌いを通り越して、「無」だった。
初めて兄にガチ相談したくらい、今思えば精神が壊れかけていたと思う。
そんな中、突如父親が引っ越すよと言い出した。
え、どこに。って感じだけど場所は愛知県。
愛知県ってどこそこって思ったけど、静岡県のお隣。
友達と会えなくなるのはさみしいし、悲しいなと思ってたけど、それは1%程度。
残りの99%は「はい、これで剣道やめれる最高」と思ってた。
強豪クラブでの最後の練習。「ヤッホイこれで最後だ~」って思ってルンルンで練習行ったけど、先生にはボコボコにされた。
「いつかぶっこ〇す」と思いながら、最後の練習を終えた。
帰り道、その中で一番仲良かったオサダくんって子にこれで最後って言ったらマジで悲しんでくれた。
剣道だけじゃなく、家が遠くても遊びに行っていたくらい仲良かった友達だったから、最後まで言えずにいたんだけど、
もっと早く言っておけばよかったなと感じた。
弱小クラブの方でも、一応一年生の頃から続けていたので、しっかり送別させていただいた。
今でも写真立ては取ってあるし、自分ってば子供のころから愛されていたんだなーと感じる。
脳の片隅には、剣道続ければ会えるかなーって思ったけど、
「いや、やめる」と自分の決意は固く、脳の片隅の考えも消えた。
そして引っ越し。さらば静岡、さらば剣道と別れを告げながら静岡を去った。
と思ったら引っ越しの荷物の中から剣道の防具が。これ捨てていいよって言ったけどと思いながらイヤな予感。
地獄の静岡編はこんなとこ。自分史上、一番地獄の日々だったし、今でも戻りたくない。
そして引っ越しして一週間、母親から、「今日近くの剣道クラブ見に行くから」と言われたのは次の記事にてしようと思う。