前回記事にて、地獄の静岡編を紹介させていただいた。なかなか反響もよかったので、今回はその続きの中学生編をお届けしたい。
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【剣道歴紹介】自分が剣道を始めたきっかけ~地獄の静岡編~
剣道のカテゴリを作り、剣道関係の発信をしていこうと思ったものの、 自己紹介をせずに剣道を語ると、それは「剣道大好きオタク」になりかねないし、 そうなったら間違いなく自分で自分を嫌いになるので、まずは自 ...
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(この記事は自分の剣道の経歴みたいなものを書いただけです。面白半分でみてくれたら幸いです。)
引っ越して一週間で剣道再開
小学6年の冬休みに静岡から愛知県に転居。それに伴い、剣道はもうやめられると思って一週間。悲劇が起こる。新学期が始まって転校生としてチヤホヤされる毎日を送っていたある日、母親から告げられる。
母親「今日近くの道場見に行くよ。」
自分「・・・。ちょっと待って!?!?!?ヤヴァイ...地獄終わってないんだが!」
その日絶望しながら学校を終え、言いつけ通り道場の練習を見に行った。そこには同じ学校の子が練習していた。中には同じクラスの子もいるのでまあしゃあないでやるかくらいの気持ちで再開。どうせ中学で違う部活に入ろうと思っていた。しかし、やってみるとその同級生たちが強い。地元の市内で優勝してくるし、県大会にも出場。彼らの大会前に練習相手として、当時キャプテンだった子と試合したけど練習にならないくらいに瞬殺されたのを今でも覚えている。「ちょっと待って」状態になりながらも同じ学校に通う同級生たちが大会で活躍している姿を見て刺激になった。静岡の強豪道場にいたときも強い子はいたけど、同じ学校に通っていたわけではなかったため、どこか遠い存在と認識してしまった。しかしこの道場は自分と同じ学校に通う友人が大会に出て活躍している。そんな姿を見て純粋にカッコイイなとも思った。なんて思っていたらその同級生らとともに中学の剣道部に入部。全員同じ中学に入学し、同じチームとしてこれから練習していくのであった。良くも悪くも、この決断が人生の大きなターニングポイント。
偉大なる先輩たちとの出会い
剣道部入部後、待っていたのは練習漬けの毎日。これまで道場で週に3回練習するだけでしんどかったのに、これからはそれに加えて授業後の部活でも剣道しなくちゃいけないという地獄の日々。さらに二つ年上の先輩たちとも一緒に練習しなくてはいけないという状況。体格と体力の差がありすぎて、練習についていくのがやっと。正直しんどすぎて辞めたかった。しかしそんな中、その先輩たちの試合があったんだけど、先輩たちがまあ強いの。大会で優勝してくるわ、強い相手にもしっかり勝ってくるわで会場が大騒ぎ。道場の先生や親御さんの声援がすごくてめちゃくちゃ熱狂していた。そして何やら黄色い声援まで聞こえてくる。とそこで自分はこう思った。
「ちょっと待って!?!?!?ウワ...女の子にキャーキャー言われている。。。うらやましい!!!」
と思った。この先輩たちの姿を見て、自分も頑張ろうと思えた。というか自分の剣道をやる原動力の大半がこの理由。こんなこと言ったら両親や色んな先生方を悲しませるかもしれないけど、自分が剣道頑張れたのは女の子にキャーキャー言われたいが為の努力。不純で申し訳ない。が、それくらいその先輩たちは輝いて見えたし、自分もこうなりたいと、初めて剣道で人を尊敬した。そんな先輩たちも夏の大会は県大会ベスト16で敗退。愛知県の県大会ってベスト8に入れば東海大会に進出できるんだけど、その道がエラく厳しい。愛知県って人口も多く、中学校の数も多いので県大会まで行くのがそもそもハードモード。それでも先輩たちは勝ち進んだし、めちゃくちゃに輝いてたし、女の子にキャーキャー言われてた。自分もこうなりたいと思わせてくれて、目標となってくれた。その先輩たちは今でも尊敬している。
目標は「目指せ東海大会」
「いや全国目指さんのかい」って思ったかもしれないが、ここは現実主義。というのも全国大会行くには、選手や顧問、道場の先生から親御さんまでが盛大な覚悟を持たないといけないので、それは無理だなと感じた。なにより自分が全国大会行くほど練習したくなかったのが本音。っていうかそこまで剣道好きじゃなかった。でも憧れの先輩たちみたいになりたいし、女の子にキャーキャー言われたかったので、先輩たちを超えるべく東海大会を目標に。その目標は剣道部全員が掲げていて、かなりの団結力だったと今でも思う。
でも自分らの代の部員は個性がすごかった。自分みたいにお調子者もいれば、すぐ言い訳してサボるやつ、スペイン語がしゃべれるハーフの子、純粋にドジなヤツ、竹刀の手入れがめちゃくちゃうまいヤツとかで個性派のオンパレード。
後輩も後輩でクセのあるヤツしかいなかったので、毎日の部活が楽しかったけど、それをまとめていたキャプテンはめっちゃ大変だったと思う。感謝。
道場の練習で死にかける日々
と、楽しかったのは部活だけで、道場の練習は死ぬほどきつかった。クマさんみたいな体格した先生にぶっ飛ばされるし、バスケコートくらいある体育館の中を行ったり来たりしながら竹刀振らされたりで、そりゃあもうすごい練習量だった。一年中ほぼ変わらない練習をしていたので、夏場なんて熱中症との闘いだし、冬場は摩擦による乾燥で、足の裏の皮膚に亀裂が入って血だらけなんてよくある話だった。
週6で部活やりながら、それに加えて週3で道場の練習で、かなり練習していたと今でも思うし、同じくらい今練習している全学生には尊敬でしかない。
人生を変えた、顧問との出会いと何気ない一言
中学2年に上がるときに、顧問が変わった。その先生は新卒ということで若くてエネルギッシュ。一緒に面付けて練習してくれたり、指導してくれたので、部員からの信頼度は抜群だった。剣道って生徒と先生が一緒に練習するってなると、着替えて防具をつけるとかいろいろしないといけなくてハードルがすごく高いんだけどそれでも一緒に練習してくれた。その後に教員としての自分の仕事をしてたとなるとすごい仕事量だと思うし、その辺尊敬でしかない。
自分を指導者の道へと導いた、一言
自分が2年生の時、一つ年下の子たちが部活選びの体験活動的なことをやっていた。
その時に来てくれた1年生に対して、みんなで竹刀を振ってみようみたいな企画をやっていた。
自分は一年生一人に対し、竹刀の握り方とか体の使い方を教える係で正直何言っていたかもう覚えてもないんだけど、それが終わった時にその顧問の先生にこう言われた。
「教えるのうまいな」って。全然褒められるようなこともしてなかったんだけど、それがめっちゃうれしかったのを覚えている。
サラっと言った感じだったからその先生も覚えていないと思うけど、自分は割とハッキリ覚えている。
なんか感覚的にやったことが褒められたので、すごく自信につながった。その時に、指導する道っていうのもアリかなって思わせてくれた。
それがコーチとしてのきっかけだし、きっとその一言が無かったら今の自分はきっといないと言えるくらいの大イベント。ただの体験活動なのに。
ちなみにその教えた子はその後剣道部に入部してくれたし、めちゃくちゃ面白い子だった。それとやっぱ自分は褒められて伸びるタイプだと再度自覚することもできた。
最終結果は県大会ベスト16
自分はありがたいことに1年生のころから大会に出させてもらったんだけど、中学最後の大会では愛知県大会ベスト16。憧れの先輩に並ぶことはできたけど追い越すことはできなかった。面つけて試合していたら女の子にキャーキャー言われてるかもわからなかった。それでもかつてないほどの好成績だし、これがきっと現時点の限界なんだなって今思う。
最後の大会は後悔の塊
県大会って色んな地区から勝ち上がったチームしか出場できない、言わば県内の強いヤツしかいない大会なんだよね。そんな中自分は、参加できるって喜んでいたんだけど、それ以上にビビってた。県大会の独特な雰囲気に飲まれまくってた。また、負けたらチームに迷惑かかるから引き分けようってめっちゃ思ってた。自分より格下相手でも引き分けてたからそりゃあひどいもんだった。自分に自信が無かったんだろうな。しっかり勝ち上がってきたハズなのに。全部とは言わずとも敗因の7割くらいは自分に責任があったと今でも自負している。
引退後は燃え尽き症候群
初めての挫折
部活引退後は高校受験へまっしぐら!って言いたいとこだけど、そうはいかないのが我が人生。今となっては自分の努力が足りなかったから東海大会行けなかったと思えるけど、当時15歳の自分はまだまだおこちゃまで、あんなに頑張ったのに目標達成できなかったと嘆くことしかできなかった。そこで初めて努力しても報われないこともあるってことと、挫折を学んだ。
人生で一番ムダな時間
それでも周りの子は受験勉強なり、スポーツ推薦を決めてったんだけど、ホントに自分なんもやってなかった。なんもしてなくて、毎日くすぶってたなってくらいにしか思わないけど、家族や担任の先生は相当焦っていたと思う。そんな中、同じ部活だった子らがスポーツ推薦で進路を決めたり、受験勉強を進めている姿を見てようやくやるかって思った。今でも思うけど、あの時間が人生で一番ムダだったと思う。
大コケの受験
焦って勉強したがもう遅い。第一、第二の志望校は落ちて、スベリ止めの高校へ入学が決定。しかもその高校は剣道の推薦頂いていたのに、第一志望の高校へ行きたいがために推薦をけってスベリ止めで受けた。結果そこに行きついたワケなんだけど、コレだいぶ遠回り。だったらおとなしく推薦でいけばよかった感があったけど、別に今でも気にしてない。しかしこの高校選びが、良い意味でも悪い意味でも大きく人生が変わった。
人との出会いが人生を変えた青春の中学時代
読んでわかったと思うけど、ホントに剣道しかしてない。その分いろんな人にも出会えた。憧れの先輩とも、指導者のきっかけを作ってくれた恩師にも会えた。当時の自分は気づいてないけどその後の人生に大きく影響を及ぼす人たちと出会えた。
部員たちとは今でも交流中
同い年のキャプテンとは大学でも一緒に指導者をやってくれた。副キャプテンは今、大坂でファッション極めようとしてるカリスマ人なんだけど、わざわざ会いに行くくらい仲良し。竹刀直し上手の子は自衛隊に入ったけど、それでも定期的に会う。一個下の愉快な部員たちも大学生活で一緒に子供たちを教えたり遊んだりしている。それくらい一緒にいて楽しかったメンバーだし、今も一緒にいて楽しい。東海大会には行けなかったけど、ほかに大切なものを残してくれている。自分ってホントに幸せモノ。
消せない、当時の試合ビデオ
未だにに中学二年の時のビデオが残っているし、未だにその試合のビデオを見てわくわくしている。その試合を見ている自分を客観的に感じるときがあるんだけど、当時よっぽど楽しかったんだなって思うし、そのビデオをとってくれた親にはスーパー感謝。
選手生活の中でNo.1で楽しかった中学校生活
納得のいく結果は出なかったけど、それでも毎日の部活は楽しかったし、今でも戻りたいって思える。そう思わせてくれた周りの人たちには感謝しか無いし、そう思ったら今すぐにでも会いたくなるくらいみんなが大好き。初めての挫折も、挫折するくらい頑張ったってことだと勝手に納得。
メダルの輝きってその時が一番まぶしいけど、
その後の交友関係の方がずっと輝いてるし、いっつもキラキラしてる。
コレ、名言だから覚えといて。この記事を読み切った人に一番伝えたい。頑張った日々には絶対支えてくれた人がいるハズだから、その人たちをホントに大切にしてほしい。高校入学後に、これまた地獄を見たお話はまた次回。長らく付き合ってくれてありがとう。